四月の料理
その性質が欲しいと思った。その穏やかでそこはかとない優しさを、心底欲しいと思った。そういう美徳が身近にあれば、私はいつだって強くあれるだろうと思った。だから必死で身に着けたのだ。自分のものになるように、その性質を備えた人をいつでも思い描いて、思い返して、なぞって、取り込もうとした。そうしてそれがいくらか自分のものになったと感じることができるようになって、いざその性質の本人の前で、私がその美徳を手に入れたことを、証明してやろうと勇んだ。
私はこんなに穏やかで人を安心させる優しい人間になったんです、木綿子さん。私、頑張ったんですよ。
*
この家で一番に大きい鍋の中で、モツが湯と一緒にぐらぐら揺れている。もう少し経ったら火を止めて湯を捨て、また水からモツを茹でる。ボイル済みのモツであろうと三回は茹でこぼすべきだ、という貴重な教訓を得たのはいつだっただろうか。
私は料理が好きである。成果がはっきりしているからだ。美味しいか不味いか。好まれるか避けられるか。美しいか醜いか。五感を使いさえするだけで、それが成功なのか失敗なのかが明らかである。そういうわかりやすさが好きなのだ。好きなことだから日常の習慣になっても苦ではない。
だから、この家での料理の担当が私に一任されたことに対しての不満は一切ない。不満があるのは、それが決定された経緯についてである。
今朝方、木綿子さんが私に作ってくれた朝食の目玉焼きが半生だった。白身に火が通り切っていなかったのである。私はそれについてさんざんに文句を言い、木綿子さんの努力も顧みずに、自分がこの家の料理を担当することを一方的に宣言した。同居を開始してすぐに、木綿子さんとひと悶着起こしたこともあって、今朝方の私は、自分のした「木綿子さんのように穏やかで優しい人になる」という決意を完全に忘れきっていたのである。「穏やかで優しい人間」は親しい人の作った料理に罵声を浴びせたりしないことに思い至ったのは木綿子さんが既にアルバイトに出かけてからのことだった。それから今まで、ずっと気分が晴れない。
七年前に木綿子さんと梓が引っ越してしまってから、私の周りにはほとんど人がいなくなってしまった。自分の排他的な性格を変えなければどうしようもないことに気付いて悩むうちに、木綿子さんのことが頭に浮かぶようになった。木綿子さんのような優しさと穏やかさが欲しくなって、必死で木綿子さんの真似をした。打って変わって私の周りにも人が増えて、木綿子さんの凄さを思い知ったのだ。
七年が経って、私の努力も板についてきて、他人から穏やかな性格だと評されることが多くなった。木綿子さんとの同居話が持ち上がって、それならば、今度は私が木綿子さんにとびきり優しく接することにしよう、と決意した。
誤算だったのは、私の後天的な性格を木綿子さんが全く喜ばなかったことである。喜ばれないだけならまだ良いが、結果的に泣かせてしまった。木綿子さんは以前の私を懐かしんだ。とても健やかとは言い難い過去の私を。それは私にとっては、まさしく誤算だったのだ。
木綿子さんは作り物の私を喜ばない。それだけならまだしも、分からないのは、私自身が木綿子さんのそばでは地金を出しそうになることだ。あの七年間であんなにも欲した性質を、木綿子さんのそばでは簡単に手放せてしまう。不可思議なことだ。
私はわかりやすいことが好きだ。だからわからないことばかりの今の状況に不満があるし、そういったわからない状況に引っ張られた自分がしてしまった行動にも不満がある。いくら過去の私を望む木綿子さんだって、自分の料理をけなされて良い気持ちがするわけがない。なし崩しの決定は覆せないとしても、ひどい言葉については早く謝ってしまいたかった。いくら木綿子さんの料理が不味いことが真実だとしたって。
一回目の茹でこぼしを終えてから、二回目の茹でこぼしを開始した。モツを茹でる間に野菜を切ってしまうことにする。大根をいちょう切りにし、ごぼうとニンジンを適当な大きさに切る。白菜をざくざく切りながら、最近ひっそりと値上がりしつつある白菜に冬が終わることを思う。鍋の中の湯が沸騰したのを見ていったん野菜を切る手を止める。濁った湯を捨ててから、また新たに水を入れる。シンクが特有の音を立てた。鍋を火にかけてから、玉ねぎのみじん切りをする。個人的に、この玉ねぎの有無で「モツ煮らしさ」は格段に変わってくると確信している。
豆腐とこんにゃくをちぎりながら、朝食の目玉焼きを思い出す。白身が不愉快に固形化していた。「白身に火を通さない」という神がかった芸当をした張本人は、神妙な顔で「どうして上手くいかないんだろう」とのたまっていた。どうしたもこうしたもないと思う。
木綿子さん曰く、「半熟を目指したらこうなっていた」ということらしいが、それにしたって限度というものがある。人間には向き不向きというものがあるから、料理は私がやればいい。木綿子さんはほかにちゃんと美点があるから良いのだ。
湯が沸騰する。三回目の茹でこぼしを終えて、モツの入った鍋に、今度は水と一緒に野菜や豆腐、こんにゃくを入れて火にかける。間をおかずに料理酒、みりん、醤油を投入する。これらの量は適当で良い。味の調整は味噌でする。
とりあえず味噌をお玉半分入れて、味を確かめる。もう少し味噌を足そうかな、と考えたところで、木綿子さんの存在と、自身の味の好みの偏りについて思い至った。私は個人的には塩辛い方が好きで、自分好みの味付けの料理をそのまま健康志向の人間に食べさせると、ほぼ毎度「病気になりそう」との文句を頂戴する。木綿子さんの好みが薄味だったら、味噌を足さない方が良いかもしれない。しばし逡巡する。鍋がぐつぐつと音を立てている。
ひとしきり考え、味噌を掬って鍋に入れた。今朝方の料理の出来栄えを見る限り、木綿子さんの味覚は変わっている。味覚の変わっている人に追随することもないだろう。私だって食べるのだから、自分好みに作ってしまうことにした。味見して、味がぱっとしないように感じたので容赦なくかつお風味調味料を入れた。味がぱっとするまで入れる。化学調味料の是非など知ったことではない。
納得のいく味になったので、このまましばらく煮立てることにする。野菜が柔らかくなったら完成である。煮込む間に食器類を洗ってしまうことにした。
水が冷たくて湯を出した。桜は咲いてもまだまだ外気は寒く、水道水は冷たい。同居を始めて二日目の、木綿子さんと二人で長く歩いた日の外気を思い出した。結局木綿子さんの落としたコーヒーは梓にあげてしまった。追いかけるのに邪魔だと思ったからだ。コーヒーを取り落した木綿子さんの泣きそうな顔は今でも目に焼き付いている。混乱した梓を放置してでも、すぐに追いついて、そばに行って、木綿子さんが泣かないようにしなければと思った。もし泣かせてしまったのなら、すぐにでも泣き止ませようと思った。あの人が泣くのが、私は本当に苦手なのである。泣かせたのが自分ならなおさらだ。
同居初日に駅まで迎えに来てくれた木綿子さんを見て、その変化のなさに安心した。私の顔を見てした微笑みにも心底ほっとした。その表情が何故か私のあいさつで曇った。それからずっと辛そうな様子を見せられて、私の心内の逸りは止まらなかった。その辛そうな様子の原因が私の振る舞いだとわかって、自己嫌悪に苛まれた。そして今、私はジレンマを抱えている。
私の生来の粗雑な振る舞いは木綿子さんを傷つけるだろう。かといって、私の優しげな振る舞いも、木綿子さんの望むところではない。木綿子さんを傷つけるのも木綿子さんを泣かせるのも、私はとても嫌なのだ。
ジレンマを解消する方法を考えようとしたとき、スポンジを握る手が滑った。運悪く洗滌の対象が包丁で、親指に痛みが走る。血が出ていた。思わずため息をつく。やりきれない気分だった。刃物を扱うのに注意せず考え事に耽った自分に全く非がある。
包丁と傷を水で洗ってから、絆創膏と消毒液を探すことにした。居間の戸棚や、台所の収納を覗いてみる。しかし一向に絆創膏は見つからなかった。めぼしいところはあらかた探したが、それでも見つからない。あきらめて、ティッシュを傷口に当てて対処する。
ティッシュに血が滲んでいくのを見て憂鬱が増した。単純な行動が行えないとき、自分の無力さを感じてひどく落ち込む。木綿子さんに暴言を吐いて、同居中の料理を担当すると言い切って、そんなことをしておいて救急箱のありか一つさえわからないのだ。自分の住む家のことがわからないというのは中々辛い。それに今までの自分の行動に対する後悔が重なって、自分が木綿子さんの同居人として不十分なんじゃないかというところにまで考えは及ぶ。自分の悲観的思考にもうんざりする。
ため息を二三回ついて、モツ煮の完成を確認し、血の流れ出る勢いも収まってきて、やっとやりきれない気分から脱する。モツ煮も美味しくできていた。火を止めて蓋をする。気を取り直して、近くの薬局にでも行くことにした。そこで絆創膏と消毒液を買えばいい。そう思って財布と鍵を携えたとき、外で足音がするのが聞こえた。財布と鍵を机に置いて、玄関へ向かってみる。音はだんだん大きくなって、扉の前で止まった。扉が開く。
「お帰りなさい」
声をかけると扉を開けた木綿子さんは驚いたような顔をした。しばし目を瞬いてから、破顔する。
「ただいま! どうしたの桐ちゃん。お出迎えしてくれたの?」
「違います。たまたま外に出ようとしてただけです」
「なんだあ。私が帰ってくるのが待ち遠しかったのかと思ったよ」
「違います」
私の訂正に木綿子さんはけらけら笑う。靴を脱いだ木綿子さんは「いいにおいがする」と言いながらキッチンの方へ向かった。つくづく屈託のない人だ。自分の悩みが馬鹿みたいに思えてため息をついた。ため息をついたのは今日何度目になるだろう。そう考えて親指の痛みがさらに増したような気がした。
「モツ煮だった。美味しそう」と言いながら木綿子さんが居間に帰ってくる。美味しそうなら何よりだ。木綿子さんの好みは全く斟酌してないが。
「私今から薬局行ってくるんで、つまみ食いしないでくださいね」と言い置いて、財布を掴む。木綿子さんが不思議そうな顔をして私を見る。視線は私を上からなぞって、最終的に手の先に止まった。気まり悪くなって木綿子さんの視線から逃げる。
「桐ちゃん怪我してるの?」
「ちょっと切り傷を。たいしたことないです。絆創膏だけ買ってきます」
それだけ言って玄関へ向かおうとしたところで、木綿子さんに飛びつかれた。予想外のことに一瞬狼狽えてしまう。
「ごめん。そっか。救急箱の場所教えてなかったんだ。本当にごめんなさい。今持ってくるから行かないで。待ってて。ごめんね桐ちゃん。怒ってる?」
「怒ってはないです。なんか、勝手に下らないこと考えて落ち込んでるだけなので、気にしないでください」
そう言うと、私の袖を掴む木綿子さんの力がさらに強くなるので、ますますわけがわからなくなる。
「そんなこと言われたって、どう考えても当て付けみたい! いや私が怒っちゃだめだけど。ちゃんと謝るから、ここにいてね」
木綿子さんは自分の部屋に駆けて行き、十数秒ほどして戻ってきた。半透明のケースを携えている。「そこに座って」と強い口調で言われたので、素直に従う。木綿子さんも私の正面に座り込む。救急箱が開いて、絆創膏と消毒液が取り出される。左手が木綿子さんの手にとられて、消毒液をかけられた。
「今更遅いかも。ごめんね、救急箱わたしの部屋に置きっぱなしだったんだ。こういうこともあるのに、教えるのすっかり忘れてた。ごめんなさい」
消毒液が傷にしみていく。たいしたことではないのだ。救急箱の場所を教えられてないくらいでいちいち気に病む私が悲観的なだけである。木綿子さんの指摘通り、家主が帰ってきているのに絆創膏の場所も聞かずにわざわざ買いに行くそぶりを見せるというのも相当に捻くれているし当て付けじみている。思えば出迎えの時の私の態度も嫌な感じだ。よく考えると木綿子さんの帰宅が待ち遠しかったのは真実なのに、口から出るのは正反対の嫌味な言葉である。しかし後悔したところで悲観的なのも捻くれているのも素直になれないのも性分だ。それを何とか覆い隠そうとする振る舞いも、目の前の人間の苦痛になる。またジレンマと憂鬱の始まりだ。どうしようもない。
どう足掻いても最悪な私の性質を、しかしどうして、この人はこんなにも屈託なく真摯に受け取るのだろう。
「今度、わたしが家にいないときに何か見つからないものがあったら、わたしの部屋に入って探していいからね。別にそんなの気にしないから。あと、欲しいものがあったらちゃんと言って。わたしに愛想尽かして一人で何でもやろうとしないで。頼ってほしいのちゃんと。わたしはこれでも桐ちゃんの同居人なんだから」
私の目をまっすぐ見て言うから、この真摯さを茶化す言葉が出てこなかった。
指に絆創膏がきれいに巻かれて、私は薬局に行く必要がなくなった。夕飯の予定時刻まで、あと一時間ほどなので、さっさと炊飯の準備をする。この家には土鍋がないので炊飯器を使用する。炊飯のスイッチを押して、先ほどの皿洗いの続きに取り掛かろうとすると、木綿子さんに邪魔をされた。
「皿洗いはわたしがやる」
「やらなくていいですよ。皿洗いも料理のうちでしょう」
「でも食事作りは桐ちゃんに任せきりだし」
「木綿子さんは掃除と洗濯やってくださってるでしょう。仕事量ではこっちが少ないくらいですから。大丈夫です」
そこまで言ったところで、木綿子さんが勝手に皿洗いを開始した。今までの問答はなんだったのだろうか。
「やりますって私が」
「いいから桐ちゃんはお皿を拭いてください」
頑として動かないので、あきらめて皿を拭く。だって洗い物したら傷にしみちゃうもんね、と木綿子さんが呟くので辟易した。とてつもなく甘やかされている。不本意だ。
ざるをスポンジでこすっている木綿子さんを横目で見た。西日を浴びて、輪郭が白く光っている。なんだか見ていられなくて目をそらす。一連の行動が自分でも馬鹿みたいだった。この人といると、自分のペースが崩れてしまう。予想外のことでいっぱいになる。そしてその予想外の優しさや穏やかさに知らない内にうずまって、最後にはそれがなくてはならないものになる。それを渇望した七年間を私は確かに知っている。その性質を欲して、努力した記憶を身のうちに抱えている。そしてそれすら打ち砕かれたのだ。予想外な優しさを見せるこの人自身によって。
その性質が心底欲しかった。その美徳を、心底自分のものにしたかった。
蛇口から水が流れる。すすがれたざるを木綿子さんが私に手渡した。幼いころに母親の手伝いをしたことを思い出す。料理や皿洗いをやりたがる私をきれいに無視して、母親は私に布巾を握らせた。母親は料理や皿洗いがいつの間にか材料を使ったおままごとや水遊びに発展することを恐れたのだろう、と今ならわかるが、当時は不満たらたら皿を拭いていた。
木綿子さんとの同居が決定したとき、母親はやけに嬉しそうに「これで家事仕事が一人分減る」と言っていた。そしてその後必ず「木綿子ちゃんに迷惑かけたり、嫌な思いさせたりしないでよ」と言うのだ。結局その言いつけは守れていない。かけた迷惑やひどい放言も諌められず、甘やかしてもらっている。木綿子さんは家族ではないから、あんまり度が過ぎると愛想を尽かされてしまうのに。
水気のとれたざるをシンクの下の収納にしまいながら、「今朝はすみませんでした」と言ってみた。木綿子さんの手が止まる。水音は止まらず立ったままで、ああ水を止めなきゃ水道代がもったいない、と思う。
蛇口を捻ると無音になった。木綿子さんが取り繕うように微笑む。
「いいよそんなの。何のこと謝ってるのかも分からないくらいだし、些細なことなんだよたぶん。そんな、謝ったりしないで」
その笑顔と声が明らかに無理のあるもので、誤解を与えてしまったことに気付いた。
「えっと、今の謝罪は、他人行儀なものではないです。単純に、あなたの料理をけなしすぎたのはだめだったなあと思っただけで」
「でも、桐ちゃんいつもはそんなこと言わないし。いいんだよ別に。正直に言ってくれるのうれしいし。気を遣われるの、嫌なの。遠ざけられてるみたいだから」
「暴言吐ける間柄がすなわち親密だってことじゃないでしょう。私は、今朝の発言を後悔したんですよ。だから謝ったんです。それは別に遠ざけてるとかじゃなくて、親密な間柄だとしても必要なことだと思いますよ」
「わたしが梓でも同じことする?」
言われた言葉に息を呑む。木綿子さんはやたらと梓と自分を比較する。私が梓に気を遣わないことを、この人はひどく重く考えるのだ。
「梓だったらしません」
「ほら。それがいやなの。梓にはしないことをなんでわたしにはするのよ」
木綿子さんの声がどんどんか細くなる。悪い兆候だ。木綿子さんは泣きそうなときいつもこうなる。
「梓と木綿子さんは違うから」
「何それ」
「あ、待ってください。泣かないで。誤解なんですよ。いったん落ち着いてください。あなたに泣かれたくないんですよ本当に」
か細くなる木綿子さんの声に焦る。
「その違いは親密さの差じゃないんです。この間も言いましたけど、あなたに嫌われたくないんです。梓に嫌われるよりあなたに嫌われる方が辛いんです。そこの差です。なんでだか私にもよくわからないんですけど。だから優しくしたいと思ったし、自分の性格悪いところを後悔するんです」
分かってもらえますか、と念押しすると、木綿子さんは訝しげな顔をした。
「別に桐ちゃんにひどいこと言われたって、わたしは桐ちゃんのこと嫌いにならないよ。だから桐ちゃんが無理してわたしに接すると変に感じるし、無理させてる自分が嫌になるの」
飛び出した言葉に面喰う。とんでもないことを言った張本人は自分の言葉の突飛さに気付いていないようで、私の頭はますます混乱する。座り込んで頭を抱えた。「桐ちゃんにひどいこと言われたって、わたしは桐ちゃんのこと嫌いにならないよ」という言葉が頭の中を跳ね回る。本気で言ってるのか。酒でも飲んでるんじゃないだろうか。
「よく素面でそんな恥ずかしいこと言えますね」
「あ、桐ちゃんらしくなってきたね」
「うるさいです。本当にあんたはつくづく意味不明だな」
「そんなこと言うの桐ちゃんくらいだよ」
さっきまでの張りつめた様子など少しも感じさせずに、そう言って笑ってみせるのだ。つくづく歯が立たない。本日何度目かになるため息をついた。「桐ちゃん、ため息ばっかり吐いてると幸せ逃げちゃうよ」と頭上で木綿子さんが笑っている。こっちの気も知らずに!
夕飯の時間になって、支度を開始する。ご飯を二人分盛って、箸を準備する。今日は横着してモツ煮しか作っていないので、茶碗と箸が食卓に並べば準備はほとんど完了だ。木綿子さんに鍋敷きを用意してもらって、鍋ごと食卓に運ぶことにする。鍋を置いて、取り皿を持ってきて、支度は終わった。二人で席に着く。
取り皿に盛られたモツ煮を木綿子さんが口に運ぶ。なぜだかやたら緊張した。出てくる言葉を待つ。
「美味しい!」
発された言葉にほっとしたのと同時に、失礼な感想が頭に浮かぶ。
「味覚はまともなんですね」
私の口から飛び出した失礼な感想に気分を害した様子もなく、木綿子さんは応える。
「そうだよ。自分の料理も本当に不味いと思ってるよ」
「味覚が変わってるからあんな料理作るのかと思ってました。というか味覚がまともなのになんであんな失敗するんですか」
「なんでだろうね。手順が間違ってるのかな」
でも桐ちゃんが料理上手で良かったよ。と言葉は続いた。少し面映ゆい。悟られたくないので応えずに、私もモツ煮を口に運んだ。上手くできている。とても美味しい。自分好みに作ったので当たり前だが。
それにしたって、木綿子さんはどうしてあんなにも料理が下手なのだろうと思う。まだ家が近所だった幼いころ、木綿子さんの家にお邪魔して母親の楓さんの料理をいただいたことがあったけれど、くせもなく美味しかったのを覚えている。木綿子さんの料理からは母親の料理の片鱗はまったくといっていいほど見えない。
ふと、楓さんの料理が健康的な薄味だったことを思い出した。その食事の場で、私が焼き魚にかけた醤油の量を見て梓が驚いていたような記憶がある。そこで突然不安になった。
同居を開始してすぐ、まだ私が性質を取り繕っていたとき、私は木綿子さんの不味い目玉焼きを食べて「美味しい」と言ったことがある。木綿子さんを傷つけまいと気を遣ったためだ。
今回のモツ煮は、私が木綿子さんのことを全く考慮せず自分好みに味付けしているものだ。木綿子さんは美味しいと言うが、本当は木綿子さんの口には合っていない可能性がある。木綿子さんの性質を真似した私は、不味い料理を不味いとは言わなかった。木綿子さんの性質はきっとそういうものだ。もし私の料理が口に合わなくても、木綿子さんはそれをはっきり言わないような気がする。
「木綿子さん」
「なあに桐ちゃん」
「モツ煮、本当に美味しいですか」
木綿子さんがきょとんとする。
「美味しいよ。どうしたの急に」
「今回、めちゃくちゃ私好みの味付けにしちゃったんですよ。木綿子さんのこと考えず。私結構塩辛いのが好きなんですけど、木綿子さんの家の料理って薄味だったような気がします。なんか変に気を遣って嘘とか吐いてませんか」
「吐いてないよ。美味しいよ。確かに実家の味とは違うけど、でも美味しいよ。それにさ、これからずっと桐ちゃんが料理作ってくれるんでしょ。すぐに慣れるよ。桐ちゃんの好みとじきに同じになるよ」
その言葉を言われた瞬間に、不安はすっかり消えてしまった。味の不安も、救急箱の不安も、自分が木綿子さんの同居人としてふさわしいのかどうかという不安も。驚くほどの一掃だ。「同じになる」という言葉に、とてつもなく嬉しくなった。いつか当たり前に、私の好みと木綿子さんの好みが合致する未来があるというのが、どうしてこんなに嬉しいのかは、よくわからないけれど。
「そうですか。なら良いです」
口元が笑いそうになるのを、コップを呷ることで隠した。木綿子さんには気取られて無いようで安心する。
木綿子さんはしばらくしてから、思い出したように言った。
「さっきの蒸し返すけどさ、やっぱり桐ちゃんも嫌でしょ。嘘吐かれたり気を遣われたりするの。わたしも同じなんだよ。桐ちゃんが嫌なのと同じように、わたしも桐ちゃんが素直でいられないのは嫌だ」
木綿子さんの言葉を受けて、何を誤解されているのかようやく理解した。
「そこが勘違いなんですよ。普段暴言吐いて嫌味な態度でいる私も確かに私ですけど、木綿子さんに謝りたい気持ちや優しくしたい気持ちだって素直なものなんですよ。別に無理して謝ったり優しくしたりしてるわけじゃないです」
木綿子さんが固まった。唖然としているらしい。
「桐ちゃんて、わたしに優しくしたいときがあるの?」
しばらく時間がたってから、おずおずといった調子で出された質問を肯定する。
「ありますよ。当たり前じゃないですか。というか同居してすぐの、木綿子さんが私の気遣いをやたら嫌がって泣いたときに、玄関のところで言ったような気がしますけどね。優しくしたいんですよ。できるなら。いつだって。梓には優しくしたいと思ったことないですけど」
私は木綿子さんみたいに真摯に人を見ることができないので、手元のモツ煮を見ながら発言した。少し待ったが応答がない。目線をあげて木綿子さんをうかがうと、赤面していた。びっくりする。
「なんで赤くなってるんですか」
「わかんない。全然わかんない。桐ちゃんが急に変なこと言うから。わたしも変になっちゃったじゃん」
そう言われると、こちらも恥ずかしいことを言ったような気がしてくる。変な気分だ。別に人に優しくしたいと思うことは常識的でまっとうなことだし、何一つとしておかしくないのに、この居たたまれなさはなんだろう。まったく普通のはずなのに。木綿子さんが私に優しくしたり、頑張っていたり、可愛かったり、何か馬鹿なことをしでかしたりすると、優しくしたくなる。人間として至極まっとうだろう。実際の私は、そういうときに優しさとは正反対の言葉を言ってしまうけれど、むしろそちらの方が人間的にはおかしいのだ。そのはずだ。
「木綿子さん、こっち見て」
「やだ。まだ顔赤いし」
「別に顔赤くても良いですよ」
「桐ちゃんが良くてもわたしが嫌なの」と木綿子さんが言いながら、手で顔を覆う。髪からのぞく木綿子さんの耳が隠しきれずに赤いのを見て、とても楽しい気分になった。
「木綿子さん、私いま、木綿子さんにとても優しくしたいです」
ふざけた言葉は木綿子さんの怒りを買ったようで、机の下で軽く蹴られた。思わず笑うと、真っ赤な顔で睨まれる。
「桐ちゃんの意地悪!」
私も自分が意地の悪い人間だと自覚している。木綿子さんも私も同じ意見だ、と思い至って、もっともっと楽しくなった。
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