ユリの芳香を嗅ぐたびに、この花に純粋さや清楚さを見て取る人間の認識に驚く。むせ返るように濃厚で、胃がもたれるような過剰さは、とてもじゃないが無垢なようには思えない。薔薇のように漂うわけでもなく、沈丁花のように空間を区切って匂うわけでもない。はしたなく漏れ出るように匂うのに、確かにユリには間合いのようなものがあって、ユリの領分するそこに足を踏み入れた瞬間、香気の塊の中に突入してしまったと錯覚する。そのくらい隙間なく香りは充満していて、ユリの傍にいると息をつく間がない。緩やかに窒息させるような冗長さがかえって恐ろしく、手が込んでいるように思えて、狡猾だとすら思う。
 山奥に生えるユリなら、これらの過剰さが山の荒々しい自然に映えるので、その姿に品格を見て取るのも納得できないことはないが、整然と保たれたものが溢れかえる街角でユリに遭遇しても、山奥で生き延びるための手練手管がなお揮われ続けていることを、鬱陶しく感じざるをえない。人工的に管理され、虫を引き寄せるという切実な動機をなくしてなお、強く香って大ぶりに花を咲かせるということは、その香りや美しさは、もはや人間の慰めのためということになる。人間のためのうつろな香りや美しさは、確かにある種の波立った人間の心を慰撫する効果を持つのだろう。そこまでは良い。
 慰められたい気持ちがあって、そのためにユリを手元に置くなら良いのだ。困ったのはそれが逆転した場合で、慰めのために誂えられたものが目の前に置かれたとき、自然その香気は存在理由を求める。ユリと出くわした人間が大して慰めを必要としていなくても、そういったうつろな美しさを持つものが人間のいる場に置かれた瞬間、美しさは自らの存在理由を求め、理由が装填されるべき空白が生じる。自然、人間の気持ちは斟酌されることなく、その空白に物思いやその時点での周囲の風景や出来事が引き寄せられ、勝手に積み重なって、美しい匂いや姿かたちと強く結び付いてしまう。
 山奥で見るのなら、その芳香や華麗さも切実な生存手段の一環として納得できる。俺がその美しさに見合うものを提供する必要は全くない。美しさと、虫を呼んで種を残すというユリ自身の欲求で、きっちりつり合いが取れている、あるいは街角で見るのでも、もっといじらしい匂いで控えめな姿なら、些細なものとして取り合わず見過ごしてやることもできる。ただ、俺が住むこの場所で見るユリは既に虚飾でしかなく、その姿の大きさと香りの強さの分だけ俺の関心を要求する。その能動的な媚態は俺の反応を求め、網膜に映り鼻腔を通って、俺の思考と周囲の状況を紐づけて記憶に刻みつける。仕方なく俺がした事後的な反応は、すぐに俺がそもそも持っていた欲望に書き換えられて、まるで俺が抱いていた感傷のためユリを求めたような格好になってしまう。
 ユリのあの過剰な美しさと、獰猛さが苦手だ。芳香を嗅ぐたびたまらない気持ちになる。
 あの花びらの色と感触にシュイを思って、嫌がりながらも、いつしかシュイとまとまりのない物思いがユリの香気によって溶け合ってしまううちに、どんどん書き換えは進んでいく。いつの間にかユリの花びらをシュイの思い出のよすがにして、シュイが死んでしまってから、俺はユリに本当に慰められるようになるのかもしれない。罠にはめられたような気分だ。


     1
 アパートの庭のユリは初夏の熱さにも負けずに大きく花を広げていて、風の吹き具合によっては俺の部屋までその香気が届く。実家に居た頃は頻繁にエアコンを稼働させるより窓を開け放したり扇風機の風を浴びたりする方が好きで、それほどクーラーに頼ることはなかった。当然一人暮らしの新生活の夏も同様の心づもりで居たのだが、暑さに耐えかね窓を開くと漂ってくるユリの匂いには参ってしまって、六月もまだ始まらない内からエアコンを使い始めている。電気代がかさむのが怖いので、夜眠る間だけにしよう、と付けたり消したりしていたら、なんだか寝苦しくてあまり眠れなくなってしまった。
 はあ、と大げさにため息をつく。ここが職場の施設のごみ捨て場で、周りに人が居ないから出来ることだ。節電のため、客も従業員もいないごみ捨て場は当然冷房などなく、密閉されているゆえに外気温より数度高い室温を保っており、ごみの臭いもあって誰しも積極的に長居したい場所ではない。そろそろ虫も湧き始める時期だろう。
 現時点で俺の悩みになっているままならなさは、俺個人の感覚的な不快であって、他者への共有が難しい。シュイが死んでしまうことの恐怖を家族と語り合ったことはない。ましてやそれに端を発するユリへの忌避感情は当然誰にも理解されないだろう。上手くつくろって他人にも飲み込める形に整えてから愚痴を言うというのも現実味がなかった。ユリの匂いが窓外から漂ってきて寝付けないなんて、世間話のていで話すには不自然なはずだ。近所のごみの悪臭に悩んでいるというならまだしも。
 ふと、同様に共感を得ることが出来ないと思っていた、自分の好きな和歌について、河野に話した時のことを思い出した。河野なら分かってくれるかもしれない、という考えが首をもたげたが、それを瞬時に押し流す勢いで、先週からずっと続いている煩悶が再燃する。寝付けないのはユリのせいばかりではない。先週の授業での河野とのやりとりも寝不足の原因だ。
 またさらにため息をつきたくなったところで、ピピピ、と所持していた携帯電話からささやかにアラームが鳴った。ぼうっとした物思いから覚めて、今の自分のやるべきことを思い出し、集計表を見つめ直す。ざっと目視で生ごみのごみ袋の数を再確認し、集計表に書きつけた。営業終了後のごみ量の記録は、レストラン街バックヤードからの行き帰りの所要時間も含めて二十分以内で終えるよう石野先輩から言い渡されている。数え間違いがないか不安になって時間を何度も超過する俺は、呆れた石野先輩にタイマーをかけるよう助言されていた。
 慌ててごみ捨て場を去ろうとしたとき、がちゃんと入り口のドアが開き、石野先輩の顔が覗いた。時間超過の苦言を呈される、おまけに迎えにまで来させてしまっている、と自身の不始末に身を固くすると、俺の予想とは裏腹に石野先輩は明るい声を出した。
「住吉さん、もう数え終わった?」
「あ、はい、すみません。もう終わってます。今出ます」
 小走りにドアに向かい、施錠して石野先輩に向き直る。あの、また時間過ぎちゃって……と謝ろうとしたところで、石野先輩に肩を押された。
「早く早く。夜ミーティング始まっちゃうよ」
「あの……」
「どうしたの? なんか今日いつにも増してぼうっとしてるけど、大丈夫? 体調悪い?」
「いえ」
 早く早く、と弾んだ声で言いながら石野先輩は俺を追い立てるように進み、楽しそうにエレベーターのボタンを押した。珍しい。俺と二人きりの状況で、俺の不始末の後、石野先輩が取り繕ったわけでもないのに朗らかだ。
「あの……時間また過ぎちゃって」
「え? ああ、良いんだよ別に。二十分で行ってこいって言った理由は二つで、まあ今日とか暑かったし臭いもきつかったでしょ。あんなところ長居するもんじゃないし、っていうのが一つと、そんなに時間を割くほど優先度の高い仕事じゃないっていうのがもう一つ。ごみ量カウントよりやったほうがいい仕事山ほどあるし、そういう仕事がなくてもごみ量カウントするくらいなら早く帰った方がいいと私は思ってるし。多分住吉さん間違えちゃだめだって思ってるから丁寧にしてるんだろうけど。一応ごみの廃棄処理にお金払う段階で大体の量っていうのは把握できてるから、こうやって一日一日の集計で多少数間違えるくらい問題ないのよ」
 エレベーターが到着し、乗り込んだところで石野先輩は言葉を続ける。
「まだ私も入って数年だから、こういう偉そうなこと言っちゃいけないんだけど、本当に必要な業務かなと思ったりすることもある。実際の量の把握っていうのが主目的じゃなくて、こんなにごみって出てるんだってことを従業員に認識させるのが主眼なような。まあ、だからそんなにあくせくしないでいいし、ちょっとくらい時間過ぎたからって謝らなくてもいいよ」
「……なるほど」
「だって別に、さぼってて遅くなったんじゃないでしょ」
「さぼってはないです」
「そうだよね。なんか住吉さん、さぼるにも勇気を必要としそうだし、結局その勇気は湧いてこなさそうなイメージある」
 確かに、と思ったが何と返してよいか分からない。俺は石野先輩の言う通り、軽度のルール違反にかえって気の休まらないタイプで、要領の良さという美質からは程遠い、嫌な種類の真面目さを持っている。とはいえ、仕事中にぼうっと考え事をするのは広義のさぼりと言えるかも知れなかった。
「あ、というか失言だ。良くなかったね。さっきの「いつにも増して」もだめだったね。ごめんなさい」
「いえ……石野先輩の仰ること、もっともだと思います」
「住吉さんって私が嫌味言っちゃったとき謎に肯定するよね。すごく不思議なんだけど」
 ぱっと頭に数週間前の立ち聞きの情景が浮かんだ。また答え方を間違えたのか、とやるせなさが湧いてくるが、実際に俺は石野先輩の発言通りの人間だと思うので、そう返すのも致し方ない。
 気まずさを打ち消すようにエレベーターがレストラン街に到着する。石野先輩はぱっと表情を切り替えて、また弾んだ声で「早く」と俺をエレベーターから押し出した。二人でロッカールームに入ると、既にレストラン街の面々が集まっている。チーフが入ってくる俺たちを見て微笑んだ。
「じゃあ全員集まったので夜ミーティング始めます。といっても報告事項は今日はほとんどないので一つだけ。お客様からお褒めの言葉を頂いたのでその共有です。住吉さん」
「は、はい」
「五月十九日にご来店くださった方からです。お客様の声をいただくメールフォームへの投稿ですね。読み上げます。『先週の日曜日、子連れでレストラン街を訪れたものです。三人の子どもを連れてのお出かけで、まだまだ幼く騒ぐ子どもを諌めながら移動しており、下の階で買物をするうちにすっかり疲弊してしまいました。屋上の遊具にエスカレーターで向かう途中に息子がぐずり出し、レストラン街で下りて、ベンチが埋まっていたので申し訳ないとは思いつつ、本来レストランに入る方の順番待ち用の椅子に座り込んで子どもの対応をしていたところ、若い男性の店員さんで、緑色の制服の方が駆け寄ってきたので、てっきり店の利用者以外が座らないよう注意をされるのだと思ったら、「お困りでしたらお手伝いいたしますが」というお声がけで、びっくりしつつもとても嬉しかったです。もう一人、女性の店員さんが案内してくださった荷物預かりサービスも利用させていただき、とても助かりました。お忙しいだろうに、細かなところまで目を配っていただき感謝しております。あたたかい対応が身に染みました。またアカシヤさんに子どもを連れて伺おうと思います』とのことです。住吉さん、素晴らしい」
 わっと皆が拍手を始めて、チーフがメールをプリントアウトしたものを俺に手渡した。背後の石野先輩の拍手がとりわけ大きく聞こえる。
「えっと……これ俺ほとんどなにもしてなくて」
「してますよ。最初に気付くのが一番大事」
 後ろで声を上げる石野先輩をたまらず振り返る
。 「日曜の子連れの女性ですよね。俺声かけた瞬間フリーズして、そのあとの案内とか全部石野さんが……」
「細かなところまで目を配っていただき感謝しております、って書いてあるでしょ。住吉さんだよ」
 石野先輩がにっこり笑う。
 そもそもの発端は先週の木曜日だった。授業の日の仕事中、石野先輩が珍しく不調な様子を見せ、それに上手く声をかけられなかった俺が、そういう場合の対応方法、ひいては他人とのコミュニケーションについて河野に相談したことがきっかけだ。相談への直接的な解答はすぐに別の煩悶へと結び付いたのだが、その前にした河野との会話で、他人を気遣う声かけについては一定の理解を得たつもりになった俺は、日曜日に出勤し、職場でたまたま目に入った困った様子の子連れ客にそれを実践してみたくなった。困った状況にある人と、何かしてあげた方が良いんじゃないかという俺の気持ちと、声のかけ方の正解を知っているという今思えば過剰な自信が揃って、子どもをあやす真っ最中の子連れ客に声をかけるという行動に繋がってしまったのだ。結果はひどいもので、声をかけた客が呆気に取られたように「え?」と返答してきたことに、俺は一気に頭が真っ白になり、その状況を見かねて颯爽と駆けつけた石野先輩が、荷物の預かりサービスや子どもの一時見守りスペース、子どもと一緒に楽しめる休日限定のイベントなどをすらすらと案内するのをただ見ていることしかできなかった。客が荷物保管コーナーへ出かけていく様子を見送り終えた瞬間、俺の中でこのことは、過剰な自信による軽はずみな失敗、もしくは覚えたばかりのことを実践したがって至らない結果を招いた経験として処理されていて、なるべく思い出したくもないような出来事になっていた。
「よく頑張りました。どう? 気持ちは」
 石野先輩がいつものように嘘のない顔で笑っている。メールに目を落とし、「感謝しております」という箇所をもう一度読んだ。
「……う、れしい、です……多分、すごく」
「でしょう。私もとっても嬉しいです」
 再度沢山の拍手が鳴ってから、夜のミーティングは終了した。くらくらする、と思いながら、ロッカーを開けて一瞬思案する。
 携帯のメッセージアプリで河野宛に「仕事の後シャワーを浴びていきたいので三十分ほど遅れても良いですか」と送り、息をついた。今日は暑くて汗をかいていること、ごみ捨て場に長くいたので臭いが気になること、確かにそれも理由の一部分だが、先週から続く一連の出来事やそれに付随する思考が落ち着かず、このままの精神状態ではとても授業にならないのが理由の大部分だった。河野からすぐに了承の返事が返ってきたのを確認して、シャワー室使いますとチーフに声をかける。ロッカールームには半畳ほどのシャワー室が併設されており、汗を流したり汚れを落としたりすることができる。今までは自宅が近いこともあって俺は一度も使ったことがなかったが、このまま家に帰ってしまうとさらに気持ちが落ち着かなくなりそうな予感がした。どうせ今夜もユリは香っている。


 コックを捻り、降りかかってくる湯を浴びる。深く息を吐いた。様々なことが起こっていて、それらが中途半端に関連し合っているような気がするからこそややこしい。寝不足の不調もあって、頭の中が落ち着かない。
 先週の授業は、歌垣歌と挽歌から恋歌の発生を説明するものだった。単純に番う相手を求める機知的なやりとりである歌垣歌と、配偶者の死を悼む漢詩文の影響を受けた挽歌とで、抒情的な恋歌の起源として接続しうるのは挽歌の方であるという趣旨だ。俺はこの文学史上の繋がりに愛着を持っている。それは俺が人と関係を築くのが苦手で、恋愛など到底手に負えない人間であることが大いに関係している。歌垣のように軽妙に行われる接触などは当然一切縁がないが、かといって今まで散々読んできた数多の恋愛文学に描かれる感情にも覚えがない。ただいつもその感情は良くも悪くも重苦しいものとして描写されていて、俺はそのエネルギーに気圧されながら、描写をなぞることでその質量の輪郭をつかむのが精いっぱいだった。
 大学二年生の時受けた恋愛文学の講義で、挽歌と恋歌のつながりが説明されたとき、俺はじわじわ嬉しさを感じて、なんだかスキップでもしたい気持ちにまでなった。手の届かないものだと思っていた感情への歩み寄り方が分かったからだ。俺がシュイの死を考えて半狂乱になる気持ちと近いところに、今まで謎でしかなかった感情があるのかもしれないと思えた。
 その時の嬉しさは、河野に好きな歌を話して受けとめられた時の感情に近い。つまりは共感の喜びだ。他人と分かり合えた気がして、俺はきっと嬉しかった。
 まるきり他人を忌避するわけではなく、心のどこかでは他人とつながりたがっている。ただ、広く関係を持つにしろ、深く関係を持つにしろ、他人と関係を結ぶのはあまりにも困難だ。今の俺はろくに友人も居らず、客からのクレームにも鈍い反応で、家族と深い話ができるわけでもなく、育成担当の先輩の不調に際して声一つかけられない。接客業に就いてしまったことを日々悔いて、唯一愛情を示せるペットの死に怯えている。
 河野は俺のような人間とは随分違う性格だ。先週の授業で、出会いの際に河野が行った言動の種明かしをされて、俺はどうしていいか分からなかった。返答はできずに、ただ河野の敷いたレールの上にいることをまざまざ突き付けられたような気分で、今思えば頓珍漢な言葉を二三発して逃げるように河野の家を後にした。
 河野が笑ったのを見たとき身にしみて感じたレールの存在は、河野の住むマンションを離れてゆくにつれてあやふやになり、自宅に着いたときには既に、独特な空気に射すくめられたように思ったのは俺の単なる勘違いで、俺は単に軽いコミュニケーションに失敗したのではないかという考えになっていた。あれだけの発言を重くとるのが間違いだったのではないかと思い落ち込み、しかしユリの匂いが強く感じられると河野と対面したときの自由に身動きできない感覚が蘇ってくるような気もして、すっかり結論はまとまらなかった。
 答えのない考えを深めて迷っているとあっという間に休日の二日は過ぎて日曜の出勤日になった。困り果てている子連れの客を見てじわじわこみ上げてきた気持ちは、石野先輩に上手く声を掛けられなかったときの後悔で間違いない。今度は上手くやろうと思った。石野先輩の助力もあって、当時は完全な失敗だと思っていた対応は予想外にあたたかい評価を得ることができた。
 あのメールの言葉はたしかに嬉しかった。けれど本音を言えば戸惑いの方がずっと大きく、そんな中でああやって嬉しいと気持ちを言葉にしたのは、石野先輩の顔を見たからだ。俺の嬉しいという言葉を聞きたがっていたように直感的に思ったから、嬉しいと言葉に出した。石野先輩がにっこり笑うのを見て、俺は上手くやったと思った。そして、河野の言葉にももっと上手く返せていたら、と思ってしまった。
 日曜日の客への対応が石野先輩に対してしたかった気遣いのリベンジならば、先ほどの石野先輩への返答は、先週の河野への返答のリベンジだ。
 あの日の河野の言葉に上手く対応したかった俺は、河野への対応を後悔する俺は、じゃあ上手く行った場合の返答のその先に、一体何を望んでいたのだろう。軽妙な会話をこなした達成感ではない。そう思いたいがおそらく違う。俺はもっと違うものを期待した。ただそれは、あの日の河野の視線から外れてしまえばもう掴みとれない願望だ。ごみや石けんの匂いに包まれて、毎晩あんなに悩まされるユリの香りを思い出せないのと同様に、一度日常にまみれると、あのシステムのただなかに押し込められるような感覚は、遠のいて取り戻せない。
 泡を流し終えて、今日何度目か分からないため息を吐いた。


     2
 インターホンの明るい応答から数秒して、がちゃんとドアが開く。河野の顔が現れるのと同時に頭を下げた。
「今日は本当にすみません。急に三十分も遅らせてしまって」
「いいえ。そもそも授業開始時間は九時半と住吉先生から最初に提示されたのを、僕がわがままを言って早めてもらったので。お気になさらないでください。遅くまで大変だったでしょう」
「ありがとうございます。いやでも、河野さんは普通に明日仕事あるんですもんね。早めに切り上げた方がいいですか」
「そんな。たくさん教えてくださいよ。どうぞ上がってください」
 用意されたスリッパをつっかける。リビングまで進み、常通り威圧的な本棚の前の机に着いた。持ってきた教材を机上に準備する。河野がキッチンから紅茶を持ってきてくれた。ありがとうございます、と言って河野が俺の向かいに座るのを目で追う。
「さて、今日の授業なんですが、先週の補足と人麻呂をやろうと思います。先週の授業でどんなこと話したか、覚えてますかね」
「歌垣と挽歌をやりました。歌垣というのは男女の出会いの場のことで、そこでは即興的で機知的な詠みぶりの歌が詠われていた。挽歌の方では、漢詩文の影響を受けて、段々葬儀のような儀礼的な場でも配偶者を失くした悲しみが詠まれるようになっていったと学びました。そして抒情的な恋歌は、男女が誘い合う歌垣の歌というよりかは挽歌の流れを汲んでいると言ってよい、という感じでしょうか」
 河野がノートを確認しながら語る説明に「その通りです」と頷いてから、立ち上がってホワイトボードに向かう。
「ところが、実際に挽歌が定着した時期から、ひとりであることの思いを表現する恋の歌が展開する持統朝まで、数十年ほど時間差があるんですね。なぜこのブランクが発生したのかって話を補足的にします」
 ホワイトボードに「呪術的共感関係」と書きつける。物々しいですね、という河野の声を頭の後ろで聞きながら、二首の歌を板書し、共通の部分に傍線を引いた。
「いずれも万葉集に載る歌です。一首目、遣新羅使人によって詠まれたもの。「ま幸くて妹が斎はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも」、無事であなたが祈っていてくれればどれほど波が立とうと事故などおきるだろうか、いや起きない。二首目、防人歌。「国巡るあとりかまけり行き廻り帰り来るまでに斎ひて待たね」、国を飛び回る渡り鳥たちのように任地を巡って帰ってくるまで祈って待っていて、というような主旨です。さて、今単純に訳しましたけど、この「斎ふ」とは何なのか」
「えっと、そもそも遣新羅使っていうのは遣隋使や遣唐使みたいに外国に派遣される人で、防人は兵士のような認識で合っていますか」
「ああそうですね。そこをすっ飛ばしていました。大体そんな理解で大丈夫です。字の通り新羅に遣わされた使者と、九州の警備のため徴用された兵ですね。共通点としてはいずれも今まで住んでいたところと離れた場で業務にあたるという点です」
「今まで住んでいた場所に恋人を残して長期間帰ってこないと言う時に、待っている側の女性が「斎ふ」をしているってことですよね。そして、「斎ふ」をしていれば海難事故も起きないし、元の場所に帰ってこられる……」
 河野が予想以上に考え込む様子を見せたので、慌てて「いやまあ実際詳しいことは分かっていないです」と河野の思索に口を挟む。
「ただ、おそらく一種呪術的な信仰です。こうしていれば道中の夫の無事が保たれるという考え方。そして、こういう考え方が浸透している状況で、必死に夫の無事を祈るのではなく、一人で貴方に会えずに寂しい、と詠うことの難しさって、なんとなく分かりますかね」
「確かに、ずっと祈って相手のことを考えていないと障りが起きるのだって信じられてる中で、私は一人で寂しいって言っちゃうの、ちょっと怖いですね。相手との繋がりが切れて良くないことが起こりそう」
「これが呪術的共感関係です。この文化があったからこそ、漢詩文由来の抒情は、挽歌での浸透と恋の歌での浸透に差があった、というのが数十年のブランクの説明です。では、補足はこのくらいにしてざっと人麻呂をやりましょう。柿本人麻呂、ご存じですか」
「名前は流石に聞いたことがあります。百人一首にも居たような。結構古い人のイメージです」
「そうですね。万葉第二期の代表的な宮廷歌人で、古いという印象の通り、かなり早くに伝説化が行われ、後の歌人から歌聖と称されます。今回は長歌と反歌二首の組み合わせ二セットを見て、愛する妹との別れと「ますらを」としての意識について話していこうと思います。歌が少し長くなるので、板書でなく本で見ることにしましょうか。そこの本棚の下から三段目、右の方に、深緑の表紙に金文字で万葉集って書いてある本が四冊あると思うんですけど、それの一をとってください」
「分かりました。……あ、万が古い字なんですね」
 河野が新大系の万葉集を引っ張り出す。河野の向かいに座って、歌番号から石見の海の長歌を引かせた。
「うわ。長いですね。五七五七五七ってどんどん続いていくんだ」
「長歌といいます。五七の繰り返しが三回以上行われて、最後七を置いて締めます。大概の場合、反歌という補足やまとめの短歌がついています。では、「柿本朝臣人麻呂、石見国より妻を別れて上り来る時の歌二首併せて短歌」読んでいきましょうか。「石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 潟は無くとも いさなとり 海辺をさして にきたづの 荒磯の上に か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 波こそ来寄せ 波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひしなえて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山」そして反歌が二つ。「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」と「笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば」の二首ですね。まずはざっと意味をとっていきましょう。長歌の最初の方は去る石見国の風景の描写ですね。海の描写から朝夕打ち寄せる波の描写、波に寄せられる藻の描写が行われたところで、波に揺られる藻のように身を寄せて寝た妹が表現されます。そんな愛しい妻を置いて、道中何度も何度も振り返りながら、里を離れて、ついには山を越える。そこで最後の十四音です。「妹が門見む なびけこの山」と、妻の居る家を見たいがために、今越えてきた山へなびけと言う、この不可能と分かっていてなお放たれる叫びが俺はとても好きです。とても激しい情動ですね。注目は反歌で、一首目は自分の袖振りを妻は見ただろうか、という疑問。妻と離れ、境界を飛び出したことへの不安感が見て取れます。見ただろうか、と問い直さずにはいられない動揺と思ってもらえれば。二首目は、「我は妹思ふ別れ来ぬれば」と、旅中にあって離れた妻を思う一般的な態度で、ひとまず妻と別れたこと自体は受け入れている様子です。長歌から反歌二首に渡って、去る地の風景描写、それに絡めた妻の描写、見納めとなる山を越えるまで名残り惜しく何度も妻を振り返る道中、ついに高い山を越えて妻が見えなくなり、山々になびけと不可能を叫ぶ様子が描かれ、反歌では、妻と別れて一人不安な道中で、自分の袖振りを妻は見ただろうかと不安になり、最後には妻との別れを踏まえて妻を思う形で収着するまでが描かれます。強く結び付いた二人が別れて一人になるまでの過程が追える歌群であると思います」
 河野がノートに話の内容を書きとるのをしばし待つ。シャーペンが走る音が心地よかった。
 最後に、二人から一人、と書き終えて、河野が少しノートを眺めてから俺を見る。
「すごく初心者の感想なんですが、なんというか、今とは変わった形の結びつきがあるんだなと思って不思議でした。今のラブソングだと、きみのところにすぐ行く、ずっとそばにいる、みたいなのはよくありますけど、人麻呂の歌は今すぐあなたのところに戻るとは言わないんですね。山になびけって言う途方もなさや不可能さが、そのまま反転して愛情深さに繋がるのはなんとなく分かるんですが、そこまで言ってやりたいことが、会ったり触れたりすることじゃなくて見ることなんだっていうのがすごいなと。……ああでも、会ったり触れたりじゃなく、遠くのちっぽけな妻の姿をただ見るだけのために山になびけっていうのも、かえって気持ちの深さを表すことになるのか……」
 難しいですね、と真剣に河野が続ける。
「確かに、呪術的共感関係にしてもそうですが、いまとは違った形の絆意識や連帯感があるんだろうなとは思います。一つおまけの話をすると、古くから境界線の引きどころというのはお決まりのパターンがあって、橋とかは分かりやすいですが、峠もその一つです。だから実際に見るという行為の大切さは勿論存在するとして、峠を越えた瞬間に境界を越えて妻とは異なった世界にいる、と不安が増幅する感覚はあるかもしれません」
「……何にせよ、いい歌だなと思います。分かったようなこと言うなって感じですけど、なんだか、序盤の波が打ち寄せる風景、中盤の何度も何度も妻を振り返る描写、どちらも五七五七の繰り返しにリンクしているみたいです。そして、実際に歌が切れるというか終わる七七のところで、妻が見えなくなって、どうしたってなびかない山になびけと言ってしまうような別れが叫ばれるというのが、これも内容とリズムがリンクしてるみたいでしっくりくるし、クライマックスでぶつっと終わる感じがして好きです」
 想像していた以上に熱のこもった反応が返ってきて、思わず弾んだ言葉が口をついた。
「めちゃくちゃ分かります。きちんと落ち着く歌というよりは、すごい勢いで動いていたのが急に止まって、慣性で投げ出される感じというか、余韻がすごい歌だなと思います。まだまだ響く余地がある、それがさらに別れの悲しみを引き立てていて、いいですよね」
 言い終えたところで、河野が笑っているのに気付いて我に返る。
「失礼しました。今のは全然授業に関係ないです。主流解釈とかでもなんでもない俺の感想なんで」
「いいじゃないですか。そういうのも聞きたいって、前にも僕言いましたよ」
「今日は手短にやるつもりだったんです」
「良いですよ別に。夜中になっても」
「……次の歌に行きます」
 淹れてもらった紅茶を呷る。
「今の歌からそんなに離れません。すぐ後にあります。そう、それですね。読み上げていきます。まず長歌。「つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる いくりにそ 深海松生ふる 荒磯にそ 玉藻は生ふる 玉藻なす なびき寝し児を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は いくだもあらず 這ふ蔦の 別れし来れば 肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の もみち葉の 散りのまがひに 妹が袖 さやにも見えず 妻隠る 屋上の山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天つたふ 入日さしぬれ ますらをと 思へるわれも しきたへの 衣の袖は 通りて濡れぬ」です。反歌二首のうち一つ目は「青駒が足掻きを速み雲居にそ妹があたりを過ぎて来にけり」、二つ目が「秋山に落つるもみち葉しましくはな散りまがひそ妹があたり見む」となります。長歌の方は先ほどの歌と同様、序盤は海辺の情景、そこから海藻に引っ掛けて妻の描写が入ります。過ごした夜は少ないにも関わらず別れねばならず、振り返っても紅葉で妻の袖振る姿もはっきりとは見えない。「深めて思へど」「かへり見すれど」「惜しけども」と逆接の「ど・ども」が何度も挿入され、思いの深さとは裏腹に十分な逢瀬が叶わなかったことや満足行く形で振る袖の見納めが出来ないことが語られます。注目すべきは「ますらを」です。ますらをにとっては恋に心乱れることは良くないことでした。葛藤しつつも、長歌の終盤、妹への高まる思いに、ついに涙に袖を濡らすことになります。反歌では「妹があたり」と妹のいる場所を見たいという思いが語られます。この歌群では、ますらをとして妻への恋情に葛藤する男が、ついにその思いを歌に表すまでを描き出しています。いわば一人の意識から、妹との一体化を志向する二人の世界への移り変わりが描かれていると言っていいでしょう」
「えっと、そもそも「ますらを」というのは何ですか。あと、もう袖が濡れるとなったらイコールで泣いていることになるんでしょうか」
「ますらをというのは勇ましく強い男ですね。反対語が手弱女で、かよわくなよなよとした女です。もう少し時代を経ると、どちらも歌風を示す用語として登場するのでちょっと記憶にとどめておいてください。そして、袖が濡れるイコール涙かと言う質問についてですが、断言は出来なくて、というのも百人一首の最初の歌のように、「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」と、粗末な建物で夜露に袖を濡らしている様をストレートに示した歌もあったりするんです。ただ恋歌において袖が濡れると出てくるなら、涙と取って良い気もします」
「なるほど」
 ホワイトボードに「ますらを」「たをやめ」と行を分けて書き、それぞれから線をひぱって「ますらをぶり」「たをやめぶり」と書き加えた。古今和歌集のときにまとめて話そうと思う。
「勇ましく強い男と言われると、恋人の女性との離別に際して泣いているのはイメージに合わないかもしれないですね。となると、「ますらをと思へるわれもしきたへの衣の袖は通りて濡れぬ」なので、ますらをだと思っている自分も涙に袖を濡らしてしまった、という意味ですよね。このますらをって、愛情深さを示すためのギャップのために使っているとかではなくて、本当に葛藤しているんでしょうか」
「面白い着眼点ですね。たしかに「ますらを」について他に歌の用例を調べると、ますらをなのに恋に乱れてしまっているという主旨の歌が見つかります。同様の前提が他の歌にもあるということは、同じような精神的土壌を共有していたとも言えるでしょうし、もしかしたら個々人の実際の葛藤から生み出された表現ではなく、パターン化された詠みなのだとも言えるかもしれません」
「なかなか難しいですね。でもこの歌でもやっぱり、妻のことを見たがっているんですね。やっぱり今とは違った結びつきがありそうな気がします」
「なんとなくこれらの歌を見てきて、授業序盤に述べた二人を結び付ける呪術的共感関係の名残りについては感じ取ってもらえたかなと思います。また同時に、一人であることの不安や思いを吐露することの片鱗も覗いていることに注意ですね」
 今日はあまり板書をしなかったので、河野が記憶を辿りながらノートにメモをしていくのを見守った。単純に言えば今回の主目的は歌の中に「ひとり」と「ふたり」を感じ取ることだが、特に呪術的共感関係については河野が上手く汲み取ってくれて有難かった。古代の習俗としてもあまり明らかになっていない部分なので、資料と言葉を尽くして説明しろと求められると正直困る箇所である。
 図らずも、石見の海の歌に関して河野が積極的に感想を述べてくれたのも嬉しかった。あまりこういう話を他人としたことがないので、脱線を控えようと思っているのについ話し過ぎてしまう。
「どうでしょう。大体書き終わりましたかね。今日の授業内容は以上です」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます。呪術的共感関係が面白かったです。二人ではっきりと繋がって居られる境界が、触れ合える距離とか家の中や庭の中、里の中とかじゃなくて視界っていうのがなんだか斬新で」
「そうですね。でも斎ひの信仰習俗が薄れていくとなると、やっぱり実際に目で見るというのが相手の存在を感じる確かな方法になっていくんじゃないでしょうか。あと言い忘れましたが、袖を振るというのも習俗的なものですね」
「なるほど。確かに目に見えなくなってしまったら祈ったり思ったりするしかないですもんね」
 河野が少し考え込むような表情をするので、どんな質問が来るかと身構え、河野の考える顔を見ていると、少し伏せられていた目が急に俺の方を向いた。驚いて少し身体が強張る。
「住吉先生、仕事が忙しかったりしたんですか」
「何ですか急に」
「見て分かること、なんかあるかなって思って。顔見て寝不足そうだなとは思ったんですけど、まあやっぱり見てないときのこととなると、推察になっちゃいますもんね」
「じゃあ人麻呂の頃の境界認識で割と正解じゃないですか。見てさえいれば相手が分かることもあるっていう」
「ああ。どっちかっていうと人麻呂の方は、もっと近くなくて良いのかよと思ってすごく不思議です」
 触れないから泣くとか、会いに行きたいから山よなびいてくれ、という方がやっぱりしっくりくるなと思って、と河野は続けた。
「そんなに即物的でどうするんですか。これからどんどん時代を経るにつれて言葉上や認識上のやりとりに主軸が移っていくんですよ」
「そうなんですか」
「前に言いませんでしたっけ。男の前に女はそうそう姿を見せないので、まず文をやりとりして、いざ顔を合わせるって順序だって。それこそ「見る」が結婚の意味を持つこともあります」
「そうか。そうなると恋愛文学で扱うのはその文の方の部分ですもんね。観念的なのは中々飲み込みにくいかもしれません。少し心配になってきました」
 河野が眉をひそめて俺を見る。
「……僕ってやっぱり即物的なんでしょうか」
「……そう思いますけど」
「でも、住吉先生もちょっと観念的すぎるところがありません? 文学にはとっても向いていると思いますけど、現実世界だと、言葉上の意味よりその場の言葉以外の要素が作用することってよくあるじゃないですか」
 どういう意味ですか、と尋ねようとしてかなわなかった。河野の指摘を内心図星だと感じてしまったのが一つ、河野がまた笑って見せたのがもう一つの理由だ。ようやく気付いた。俺はどうもこの男が笑うのに弱い。そして真正面から見られるのにも弱い。自分がどう振る舞っていいのか分からなくなってしまう。受動と能動がごちゃごちゃになって、相手に操られているような気分になる。じわじわと侵蝕してくる獰猛さ。息がつまる。
 多分きっと、この苦しさをを人に説明しても理解してもらえないだろう。ユリの花の芳香がかぐわしいとされているのと同様に、多くの人にとって、この膠着はきっと楽しむべきことなのだ。息が苦しくて身体が強張る。舌が上あごの奥に張り付きそうで、なんとか言葉を絞り出した。
「あの日、初めてあったあの日、図書館で、和泉式部の読み方、どうして嘘ついたんですか」
 河野がにっこり笑う。
「住吉先生と仲良くなりたくて。つい知らないふりしちゃったんです」
「……どうして俺と仲良くなりたかったんですか」
「うーん。観念的な答え方と即物的な答え方だったらどっちの方がいいですか」
「何なんですかそれ、どういう意味」
「どういう意味だか言葉にしてほしいということなら、やっぱり観念的な方が良いですかね。……住吉先生と仲良くなりたかったのは、住吉先生が親切だったからですよ」
「俺は親切な人間じゃないです」
「親切ですよ」
 河野のくちびるの動きがやけにゆっくりに思えた。
「少なくとも僕の前では。僕にとっては」
 言葉の一音一音がやけに耳に残る。初めて聞く声音だった。くるくると忙しなく色んな表情を見せ、声に乗せる朗らかさも労りも、好きに調整出来る男が、こんな声を出すのは初めて聞いた。催眠や呪いでも掛けるみたいな声だ。
「……何なんだよあんた」
 たまらず口から零れ出た弱音に、河野は一瞬ぽかんとした表情をして、それから盛大に破顔した。あはは、と声をあげて笑う河野をぐったりしながら見ることしかできない。
「ごめんなさい、住吉先生。ほら、ちゃんと座って」
 机の向かいから手を伸ばされる。自分の腰が引けていることにようやく気付いた。やけになって河野の手を掴み、握られて引かれるまま素直に身体を起こす。
「筋肉痛になりそうです」
「ふふ、住吉先生、やっぱりちょっと疲れてませんか? お仕事大変なんでしょう。デパートなんて優雅なイメージでしたけど、シャワー浴びなきゃいけないなんて、結構重労働みたいだ」
「デパートなんていいもんじゃないです。めちゃくちゃにごみが出る飲食店だと思ってもらえれば。客の対応で小走りになることもありますし、ごみ捨て場で蒸されることもあります。……仕事は別にそんなでもなくて、いやあることにはあったんですけど、疲れて見えるのは寝不足が原因です」
 その寝不足の原因には、ユリやシュイだけでなく河野も含まれているが、悔しいのでそこまでは口にしなかった。
「最近たしかに夜暑いですよね。ああでも、湯冷めはすると思うから髪はちゃんと乾かした方が良いですよ。別に授業の開始は遅くなっても構わないので」
 発言の内容を受けとめて、おそるおそる後頭部に手をやると、確かに自然乾燥したような癖がついていた。一体いつ見咎めたんだと苦々しい気持ちになる。
「……ありがとうございます。またお言葉に甘えることがあるかもしれません」
「いくらでもどうぞ。今日はありがとうございました。遅いから気を付けて」
 資料を鞄に詰め込んでいく。俺が支度をし終えて部屋を後にするまで、河野は笑みを崩さなかった。


     3
 日曜日の始業時間前、石野先輩が仕事の手を止めたところに恐る恐る近づくと、すぐにこちらに気付いてぱっと俺を見るので感服した。俺には一生かかっても備えられないセンサーのようなものがあるのだろう。
「どうしたの?」
「……あの、全然大した話じゃないんですけど、このあいだの木曜日、エレベーターで、先輩の嫌味をなんで肯定するのかって質問、下さったじゃないですか」
 石野先輩が訝し気な表情をする。
「うん。まあしたけど」
「えっと、石野先輩は嫌味だって謙遜されるかもしれないんですけど、私としては本当に図星というか、仰る通りだなという評価なので肯定しているだけで、他意は特にないんです」
「むかついたりしないの? それが不思議だよ」
「あんまり……」
「そう、でもなんとなくそういう感じも分かってきたかも」
 もうなんだかんだ二か月経つんだね、と石野先輩は呟いた。
「あの、それで石野先輩にちょっと伺いたいなと思ったんですけど、先輩から見て、私って親切な人間に見えますか?」
 自分でもどうかと思う質問だった。しかし実際、石野先輩の温かみのない目で頭から足先まで値踏みされるように見られると、中々辟易とした気持ちになる。
「思ったこと言っていいのよね。あんまり親切には見えません。見た目がどうこうということじゃなくって、お客様が困ったときに声をかけやすい態勢が取れていないことが多いと思う。内部事情を知らないお客様が見ても、忙しそう、話しかけてほしくなさそうって印象を持つと思う」
「やっぱりそうですよね」
「うん。でもね、それって業務にいっぱいいっぱいだったり、気を抜いているときの話で、最近の住吉さん、周りを観察してみようってモードに入る時間が多くなってると思うし、そのモードのときは親切そうっていうか、話しかけやすい雰囲気になってるよ。今月入ってからくらいかな。段々良くなってきてる。営業時間中ずっと気を張れるようになったら合格だし、意識しないでも声を掛けやすい態勢を取れるようになればとても素晴らしいけど、その道筋が付いてきた感じ。全然遠いゴールじゃないし、しっかりレールに乗ったと思う。私は実際の住吉さんのことは少しも知らないけど、業務面だけで言うなら、段々よくなってきているんじゃないかな」
 石野先輩は淀みなく滔々と話してから、ふと思い出したように首を傾げた。
「でも、多分それって私の指導によるところじゃ全然ないと思うのね。これには責任を感じています。ただ、じゃあ他の先輩方から学んだのかなと思ったら、どうもそうじゃなさそうだし。お客様と対応するうちにどんどん磨かれたなら本当に最高なんだけど、なんとなくそれも納得しがたいというか。不思議は不思議。でも、結果的には良くなってるので、私としては今住吉さんの姿勢自体に言いたいことはそんなにありません。ゴールデンウィークまでは本当にやばいなと思ってたけど、一安心」
 石野先輩はこれからの開店の予行練習のように綺麗に笑った。
 やはりそうだ。俺は実際のところ親切な人間なんかじゃない。ただ困ったことに。冷徹な石野先輩の目で見てもなお、どうやら最近の俺は親切な人間になる道筋がついているらしい。これは一体どういうことだろう。

(親切ですよ。少なくとも僕の前では。僕にとっては)

 あの男は、そういえば「本当の住吉さんは親切な人ですよ」とは言わなかった。じゃあなんだ。俺の内実は親切でないけれど、親切な面が生じているとするならば、それは河野の影響によるものなのだろうか。このままどんどん事態が進み、俺がいつかまったく親切極まりない人間になるんだとしたら、それはつまり、親切な俺にいつも河野の影が付き従うことにならないか。
 開店の音楽が鳴る。自然と視線がフロアを回る。十数分もすれば客がやってくる。きっと俺はなにがしかのリベンジのように躍起になって隅々に気を配ることになるだろう。
 本当に呪いのようだと思う。河野のことが頭から離れなかった。







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